小さなキセキ

 家を出てから二年は経ったのかな……。十七歳になり、相方のナナと一緒に暮らして、仕事にも就くことができた。
 家は古びたアパートを格安で借りることができた。それも店長さんのお陰かな。お風呂も付いている1DK、実質ひとり暮らしにはちょうどいい広さだった。

「夏実ちゃん、朝ごはんは?」
 一月のまだ寒い平日の七時。ぼんやり夢心地から、ナナの声がうるさく聞こえる。まだ眠いのに……。
「……失敗作のお菓子なら、冷蔵庫にあるよ……」
 ナナがあんまりにもしつこく言ってくるから、暖かい布団の中から左腕を出して、小さな冷蔵庫に入っている試作品を指し示した。
「そればっかりじゃないか!」
「ナナは食べなくても大丈夫でしょ……本なんだし」
「猫の姿になっているときは、食べたいの!」
 どっちにしろ一緒じゃないの。私が物心ついたときからずっと言っている。魔術書がご飯食べて、なにになるのよ。
「今日は休みだから、寝かせて……」
 洋菓子店で働くのは、意外にも重労働で、手足が石のように重く固く感じる。
「起きてー!」
 ナナが布団に潜り込んできて、顔のそばまで寄ってきた。普通の猫とは違って、古びた本のにおいがする。それもそのはず、魔術書が自ら猫の姿を変えているのだから。
 ぎゅっと抱きしめてみた。猫の時は柔らかくて、人肌くらいの温もりがある。先祖代々受けついてきた本の末裔。ナナだけは大事な家族なんだ。

 

「おいしい?」
 試作品のケーキをフォークで突き刺し、ナナに食べさせてみた。寝起きながら最大限の笑顔を作った。
「……苦っ」
 最悪だと言わんばかりの表情になったので、次に牛乳をやや強引に飲ませてあげた。
「お腹壊したら、どうするんだよ!」
「大丈夫、本は腹痛にはならないから。万が一の時は、魔術で修復するから!」
 子供の時は、自分ひとりじゃ数えるほどしか使えなかったけど、ナナのメンテナンスもできるほどだいぶ増えてきた。それでも私の代が最後かな。
「そもそも、こんなにチョコがいっぱいあるの? 新種の嫌がらせ?」
「明日は、バレンタインデーだからね……。大まか合っているかも」
 実は頼まれたんだ。

 

 ***   ***

 

「百瀬さん! こっちに来て!」
 私より一回り上の店長さんに呼ばれて、奥の部屋から出てきた。また接客の方が忙しくなってきたのかな……。店長さんには拾ってもらって、面倒までも見てもらった恩がある。なかなか逆らえない。
 街の小さな洋菓子店ながら、美人の店長がいるとかの噂で、ありがたくも繁盛している。
 奥から出てみたが、そこにいたのは店長さんと、八歳くらいの女の子の二人だけだった。
「たまには百瀬さんに、大きな仕事をあげよう」
 その言葉に内心驚いた。まだ、二年足らずの下っ端なのに。
「依頼内容は、その子から聞いて」
 この子はお店にもよく来るから知っている。確か店長さんの知り合いの子で、ココちゃんだったはず。
「お姉さんに、お願いをしたいことがあります」
 年下の子に『お姉さん』なんて呼ばれたのは、久しぶりな気がした。
「プレゼント。その……手作りチョコをあげたいの」
 ココが恥ずかしそうに言って、なんとなく察しがついた。
「そういうことだ。手伝ってあげて」
 店長さんのきっぱりと物事を進めるところは、時として憧れを抱いてしまう。
「でも……。お店は?」
「大丈夫! 一日二日くらい」
「じゃあ、週末。私の家に」

 

 ***   ***

 

「それでチョコが、こんなにあるの」
「店長さんがいいよって言ったから、ちょっとお店で作ったの」
「……にしては、苦すぎるよ」
「あんまり甘くしないで……って話だから、ビター気味なの」
「あげる人は同世代じゃないの?」
「そこは話してくれなかった。大人な感じなのかな……?」
 近所くらいだったら出かけられそうな室内着に着替えて、ナナが食べなかった分を食べてみた。ビターチョコの苦さじゃないものが紛れている。
「ほら……! 苦いじゃないか」
 ナナの鋭い眼光が、私の顔を突き刺さった。
「だから、『失敗作』なんだって」
 空いた容器を片付け、部屋の整理も始めた。
「お昼過ぎにココちゃんが来るから、大人しくしてね」

 

 昼食は家にあったもので軽く済ませた。
 ココは一人でやってきた。実はこのアパートの近くの家に住んでいる。この辺りは店長さんの知り合いが多くて、いろいろと助けられている。
「お姉さん、猫飼っているんだ」
 ナナが愛想よく近づいて、ココの前で甘えて見せた。ここが普通の猫と違って、便利な点だ。ナナと会話までできるのは、魔術師の血を引いた者だけ。一般の人にはごく普通の猫にしか見えない。
「じゃあ、早速作ろうか」
 材料は部分的にココが出してくれたが、一部は店長さんが譲ってくれた。私は貸したのは道具と作る場所くらい。
 チョコとバターを溶かしながら、ココと話をしてみた。見かけることはあってもこうやって話すのは初めてだったが、自然と打ち解けた。なんだか、まるで……。
「お姉さんって、兄弟っているの?」
「うん……。妹が一人いるよ」
 姉もいることは言わなかった。言いたくなかったのが、本音なんだろうな。
「でも、いいな。仲いいの?」
「そう……そうだね。そうだよ!」
 また、嘘をついた気がした。妹の秋菜とは仲が悪くないから嘘ではないけど……。

 

 チョコレートケーキは失敗の経験を生かして、順調に焼き上がっていった。これなら、お店にも並べられるかな……?
「このケーキ、誰にあげるの?」
 ココは、にやけるが言ってはくれない。
「お姉ちゃんには、教えてよ」
「秘密。誰にも言わないの」
「好きな人?」
 首を振るが、だいたい分かった。
 そういえば昔。秋菜にそんなことを言ってみたが、同じように首を振られた。その時はしつこく聞いてしまったので、教科書の背の部分で叩かれた。
 焼き上がるまで、入れる箱を作った。近くの百円ショップで揃えてきて、それらをアレンジした。あげる人は男の人なので、モノトーンで仕上げた。
 数々の失敗作を乗り越えて、完成品はキレイに焼き上がり、既製品と変わらないだろう。でも、手作りだから特別なものになるはず。
 箱に一人分を移し替えて、完成。これは文句なしだろう。余った分を味見してみたが、甘さのバランスもよく、見た目的にも問題ない。あとはココ次第かな。
 三階の部屋から降りて、ナナと一緒に笑顔のココを見送った。

 

 部屋に戻り、ココが去ったキッチンで片付けを始めた。たまに店長さんが様子を見に来るが、ほぼ家に人を招き入れたことがなかった。会話の相手はナナがいたが、人とこの部屋ではなかっただけに物寂しさが残っていた。妹のように話せて楽しかった。
「夏実ちゃんが小さかった頃を思い出すな……」
「家族の話は、したくないの!」
「どうしたの? 急に……」
 思わず叫んでしまった。
「いや……。ただ、夏実ちゃんがあのくらいだった頃を思い出すな……って」
 言い返せず、ただ黙ってしまった。
「夏実ちゃん、あっきーのことでしょ」
「だから、家族の話は――」
「分かっているって。ずっと一緒だったから」
 それ以上はナナは言ってくれなかった。長年共にしてきた魔術のパートナーだから、私のことを理解しての行動だった。
「それで、夕飯は?」
「チョコだったら、まだ残っているよ」
「まだ、あるの!」

 

 二月十五日、月曜日。お昼休憩の時、珍しく店長さんに誘われて外で食べることになった。
 連れてこさせられたのは、これまた店長さんの知り合いの店。奢ってくれるとあって、文句は無い。昼時から過ぎていたせいか、店内はそれほど人はいなかった。
「そういえばね。ココちゃん、プレゼントあげて、喜んでくれたらしいよ」
「そうなんですか! よかった……」
 それがすごく気がかりで、なんだかすっきりした。
「それで、誰にあげたか知っている?」
「それが全然話してくれなかったんです。やっぱり好きな人なんですかね……?」
「ココのお父さん」
 それを聞いて、全身が固まった。だから甘くしちゃいけないのか……。店長さんは全てを知っていたんだと思う。そこまで言ったら私が嫌がるのを理解して、言わないように口止めしていたんだと思う。
「百瀬さんは、あげないの?」
「うん。あげる人はもういないし……」
「いい加減。家族と会いに行ってくれば? 連休もあげるよ」
 その話がしたくって、この店に連れてきたんだと気づいた。下手をすればココの話を聞いて、この作戦を考えついたのかもしれない。
「それは、もういいんです」
「あなたの家庭事情は知っている。全部話してくれたから。でも、後悔する前に会っておいた方がいいんじゃないの?」
「でも……」
 恩人に機嫌を損ねることは言いたくない。けど、できることとできないことがある。
 だって――
 もう私の家族はバラバラになってしまったから。

 

 ココの役に立ててよかったと思う。むしろこれでよかった。ココがこれから辿る道が、私の辿った軌跡を通って欲しくないし。
「ナナにこれあげる! かなり遅くなったけど……」
 帰ってから作ったので、日付も変わってしまい二日遅れになった。
「これ、余ったやつで作ったでしょ? ……と言うことはビター?」
「大丈夫。ミルクチョコを混ぜて、ナナ好みにしてあるから」
「ありがとう……」
「ナナしかあげる人、いないし」
 しかし。魔術書がチョコを食べて、なにになるのだろうか。
 でも、ナナだけは大事な家族なんだ。他にはもういない。思わずナナを抱き上げた。
「夏実ちゃん……。本当は会いたいんじゃないの?」
「そんなことはないよ」
 清々と言おうとしたが、声が裏返ってしまい涙まで出そうになった。
「夏実ちゃんが辿ってきた軌跡は、必ずしも悪いことばかりじゃないよ」
「でも。あっきーには、悪いことをしたと思っている……」
 逃げるように出て行った姉のように、私も出て行った。その時、実家に残した秋菜には罪悪感をずっと引きずっていた。
 よく決めないまま出て行って、手助けしてくれたのが店長さんだった。
 いつか、店長さんに恩返しでチョコをあげられるくらい、うまくならなきゃ。
 そしたら、秋菜の所に行こう。

 ナナと一緒にチョコを食べた。あれ、なんか苦い……。